コラム
美学の探求と価値の再定義
クリエイティブ思考が導くイノベーションとは何か。音楽プロデューサー・大沢伸一氏と考える
2026.01.23

ビジネスイノベーション(BI)局 局長 山口大道(以下「山口」)が、社内外のキーパーソンとの対話を通じて、これからの時代に求められる“ビジネスイノベーション”を多面的に解き明かしていく本連載。今回は音楽業界で音楽家、音楽プロデューサーとして活躍しながら、空間プロデュースやバー、カフェなどの事業にも携わる大沢伸一氏(以下「大沢氏」)に、イノベーションとは何かを問います。
YMO※に衝撃を受けた少年時代、理解されないことへの快感を求めた京都でのバンド活動、“MONDO GROSSO”でのデビューから解散、プロデューサーへ活動拡大により日本語での楽曲提供など、価値観を更新し続けながら、「経済的成功よりも大切なもの」を貫いてきたクリエイターの思想に迫ります。
※ イエロー・マジック・オーケストラ 、1978年に細野晴臣氏からの誘いにより細野晴臣氏、高橋幸宏氏、坂本龍一氏の3人で結成された日本の音楽グループ。1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つである
■大沢 伸一氏
ジャンルやメディアをぶっ壊し、再創造し続けるアーティスト、DJ、プロデューサー。世界中のトップアーティストへの大胆なリミックスやプロデュースで知られ、“SHINICHI OSAWA”、“MONDO GROSSO”、“RHYME SO”、“どんぐりず”とのユニットDONGROSSO等様々な名義で常に常識を打ち破り、新たな音の風景を創り出している。
https://www.shinichi-osawa.com/
https://www.instagram.com/shinichiosawa/
「人と違う趣向を自覚」——YMOとの出会い、理解されにくい価値観への目覚め

山口: 我々は、これまでの広告会社が取り組んでこなかった新規事業の立ち上げに積極的にチャレンジしています。大沢さんは、ミュージシャンやプロデューサーとして音楽業界で活躍され、さらには「GINZA MUSIC BAR」などの店舗プロデュースにも携わっていらっしゃいますよね。その実体験や音楽、ビジネスとの向き合い方に「ビジネスイノベーション」につながるヒントがあると思うので、いろいろとお話を聞かせてください。まずは音楽を始めたきっかけから。僕が知っている限りではYMOがきっかけだったということですが…。
大沢氏: そうですね。YMOだけがきっかけではないのですが、彼らの音楽を初めて聴いたときの衝撃は、今でもはっきり覚えています。楽器を弾いていないのに音が鳴っていることに驚いたし、それまでに聴いたことのない、自分の人生には存在しなかった音楽を初めて体験した感覚でした。
山口: そこから多感な青春時代を経て、1991年に京都でバンドを結成し、1993年に東京に進出、「MONDO GROSSO」としてメジャーデビューすることになったんですね。以前お話を伺ったときは、そもそもメジャーデビューは考えていなかったとか。
大沢氏: 京都にいた10代後半〜20代前半の頃は、ポストパンクやニューウェーブといった一般的にはあまり広く聴かれない音楽をやっていたので、人気者になるなんてことはほぼ考えていませんでした。それよりも、多くの人が理解できないことを表現している快感があって。限られたオーディエンスの中でライブをして、尖ったものを見る彼らの眼差しや、自分の知らない世界に触れてショックを受けている感覚を認識するのが楽しかったです。ところが、23歳の頃に始めたバンドは、初回からライブハウスに何百人も集まったんです。のちにデビューする「MONDO GROSSO」の前身なんですが、一定数の人が理屈抜きに良いと思えるものになっていることに対して「あれ、何か理解され始めている、まずいな」という想いもありました。
山口: 理解されない方が良かったんですか?
大沢氏: 当時は「君たちには分からないでしょう」っていうのに少なからず快感を感じてましたから。でも、少し人気が出るようになって東京のイベントに招聘されたり、逆に自分たちのライブに東京からアーティストを呼んだりと活動が広がっていくと、それはそれで面白いと感じるようになりました。
山口: 興味を持ってもらうことに対しては悪い気持ちはしない、というふうに変わっていったってことですね。
大沢: そうですね。そういう意味では興味を持ってもらえたことが純粋に嬉しくて。どう変わっていって、この先どうなっていくんだろうみたいな。変化を楽しんでいるようなところがありましたね。
バンド解散、そしてプロデューサーへ——音楽を「仕事」にする恐怖と葛藤
山口: 僕ら世代が大沢さんの存在を知る大きなきっかけといえば、1999年にデビューしたアーティスト・birdのプロデュースですよね。1stアルバム『bird』は特別版を含め約100万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞新人賞を獲得しました。それまでプレイヤーとして活躍していた大沢さんがプロデューサーへと転じたのは、ご自身のなかでどのような変化があったのでしょうか。
大沢氏: 93年にMONDO GROSSOでデビューして、ヨーロッパツアーなど精力的に活動していたのですが、96年に解散することになりました。バンドはなくなったけれど、音楽を続けるためには多角的な基盤を確立する必要があった。自分の100%の表現が大きな支持を得るとは、その時点でも今でも思っていませんし、同時に音楽的に迎合することもできないという思いも強くありました。そこで、自分の持てる最大限ポップなアプローチを、他者のプロデュースという選択で広げていくことにしたんです。
山口: それは、切羽詰まってやむにやまれぬような感じということですか?
大沢氏: 100%そうではありませんが、その選択によって音楽活動全体が良い方向に向かったのは間違いありませんね。
山口: そんな大沢さんが日本語歌詞を入れた曲を作るようになったのは、どうしてですか?
大沢氏: 自分の作品以外の楽曲提供をし始めていた頃、THE ROOMでUAと再会して、曲を書いてほしいと頼まれたんです。日本語での音楽表現に対して、ある意味で否定的な感覚があったので、最初は正直、期待と不安が入り混じっていました。でも、レコーディングで自分の書いたメロディに日本語の歌詞が乗っているのを聴いたとき、素直に感動しちゃったんです。僕が思っていた「日本語=僕には合わない」という考えが根幹から崩れました。
山口: なるほど、UAと日本語の曲を作った体験が、プロデューサーとしての大沢伸一の大きな転機になったわけですね。
大沢氏: そうですね。そこから日本語での自分の音楽表現を推し進めた結果がbirdです。新人アーティストを発掘するところから始まったプロジェクトでしたが、集まったデモテープを聴いてもなかなかピンと来ず、かなり難航しました。ある日レコード会社のオフィスに行くと、担当者がNG判断したボックスがあって、なぜか気になってそこからいくつもカセットやMDを聴いたんです。その中で見つけたのがbirdでした。担当者は反対しましたが、僕はその声にとても惹かれました。
山口: このときの“惹かれた”というのはどういう感覚なのですか?
大沢氏: ほかの誰にも似ていないところですね。もちろん、担当者NGなだけあって荒削りですし、うまく歌えていない部分もありましたが、この声なら面白いものができるかもしれないと感じました。実際に僕の曲を歌ってもらうと、とにかく音楽的な相性が良かったんです。
山口: 足早に大沢さんの歴史を振り返ってもらいましたが、ギュッと凝縮されている感じがすごく伝わってきましたね。プロジェクトの構造や考え方も、イノベーションの創造と共通点があると感じました。
経済的成功よりも大切なもの——クリエイティブを曲げない事業への向き合い方

山口: 音楽以外の事業については、いつ頃から始めようと思ったんですか?
大沢氏: 「経済的な成功」を絶対的な目標にしていなかったので、事業と言われるとちょっと温度感が違う気がしますね。
山口: 経営的な成功が目的じゃないとは、どういう意味なのでしょうか?
大沢氏: 分かりやすく言うと、「たくさん売ること」を優先するための軌道修正はしない、それよりも大事なものがある、という考え方です。例えば、ファッションブランドのオーナーデザイナーだったとして、自分のデザインしたものが売れなくなってきたときに、アイデンティティなどの「想い」を殺して市場に合わせるかどうか、という判断を迫られるとします。ほとんどの場合、経済的な成功が絶対であれば軌道修正をすると思います。でも僕なら、売上が下がっても、アイデンティティを曲げない方を選びます。
山口: 僕がもしその状況に置かれたら、売上を取りに行ってしまう気がします。
大沢氏: 僕の場合はクリエイティブがあってのことなので、この考え方になるだけです。自分の一番コアな表現を曲げて売れることを目指したら、僕の音楽を感覚的に好きでいてくれている層は離れていく気がします。そうなったら、一時的には良くても長い目で見たときに、自分の大事な何かを失うことになると思うんです。
山口: 2011年には「代々木VILLAGE」に参画し、施設全体の基本設計や「MUSIC BAR」をプロデュースされていますが、どういうきっかけがあったのでしょうか?
大沢氏: 2008~2010年頃は、音楽への興味を少し失っていた時期でした。自分の好きなものや表現したいものと、世の中が欲しているもののリズムが合わない時期だと感じていました。じゃあ、直接音楽をやる以外に何をやるべきかと考えたとき、クリエイションの幅を広げようと思ったんです。
自分が一番好きな音楽制作に妥協を持ち込みたくない。だから、その周辺にある「アジャストできる何か」を仕事に変える必要があると考えました。そこで、いわゆるクライアントありきの広告音楽やサウンドトラック制作の業務を拡大し、同時に音楽を主軸にした空間プロデュースをやってみたいと思ったのがきっかけです。
山口: 企業が新規事業をやろうとするとき、自分たちの持っている資産を大切にしようと思いながらも、全く違うジャンルに挑戦することがありますが、だいたいそういうケースは上手くいかないことが多いです。大沢さんの場合は、自身の持っている音楽という資産に近いところから考えたということですね。

大沢氏:そのとおりです。そこまでも音楽を主軸に生きてきたので「音楽に関連するけれど、音楽そのものじゃない何か」を提供するのは説得力もあるし、キャリア的にも展開しやすいと考えました。
山口: 先ほどNGボックスからbirdを発掘したというお話もありましたが、その選球眼はどのようにして身につけたのでしょうか。
大沢氏: 音楽に関しては固有の感覚なのでうまく説明できませんが、選球眼は、皆さんそれぞれの得意分野で必ず持っているものだと思います。あとは、時代も関係してきますよね。これだけ情報が増えると、みんなデータを重視するのでどうしても平均化されていく。でも、僕はみんなが集中するところをあえて外すタイプなんです。天邪鬼なので、みんなが考える最大公約数の一番反対側を想定する。いわゆる逆張りですね。すべてにそれが応用できるとは限りませんが、そこにヒントがあることが、僕の人生では意外と多かったです。
広告も同じで、「ここに興味を持って欲しい!」というものがあるなら、あえてそこ以外に着目してみるのは悪くないと思います。結局、みんな考えているようで考えてない。僕の結論はそこです。みんなもっと柔軟に考えればいいのにって思います(笑)。
イノベーションに必要なのは、リスクを負う覚悟
山口: 我々のこれからの活動のヒントとなるお話を伺ってきましたが、最後に今回のテーマであるイノベーションのお話で締めたいと思います。大沢さんにとってイノベーションとは何ですか?
大沢氏: イノベーションと言われてもすぐにはイメージしづらいですね…。ちなみに、山口さんが思うイノベーションの定義を教えてくれますか?
山口: 僕は「元の状態に戻すことができない性質」、つまり不可逆性を生みだすことだと考えています。例えばガラケーだったのがスマホに変わったような、後戻りできない変化こそ大きなイノベーションだと思います。
大沢氏: 不可逆性となると、音楽でいうと何か新しい楽器を発明するみたいな話なんでしょうね。一般的にはAIもイノベーションだと思うし…。山口さんは、ADKでどうしてイノベーションを起こしたいのですか?
山口: 変革するという視点で見ると、当社がこれから生き残っていくためには“非連続な成長”が必要だと思っています。これからは“連続的な成長”が難しくなっていくからこそ、イノベーションを起こし続けることで物事が推移していく、そんな時代になっていくのではないかと感じています。
大沢氏: そうですね。ここ数年、山口さんたちと一緒に何かを創り上げようということで仕事をしていますが、僕は正直、広告会社と仕事をしているとは思っていません。広告の代理業だけではもはや生き残れない時代でしょうし、みんな自社でコンテンツを作る方向に進んでいて、そっちの方が説得力もある。もっと言っちゃうと、何かクリエイティブを考えるとき、クリエイターと直接つながることができるインフラが整っているので。広告会社の機能自体が限界にきていますよね。
山口: そういう難しい時代だからこそ、大沢さんのようなイノベーティブな能力を持った方たちといろいろと取り組んでいくことが、我々の知見にもなるし経験にもなって、強さに転換されていくのかなと思っています。
大沢氏: それはぜひ、やってください。ちなみに広告会社で、自社でリスクを負ってクライアントなしでやっている事業はあるんですか?
山口: これは難しい質問ですが、僕が知る限りだと自社だけでリスクを負っているものはないですね。
大沢氏: そこがポイントなんじゃないですかね。これまではクライアントから何か依頼を受けることで事業がスタートしていた。その受け身の姿勢ではなく、自社がリスクを引き受けてこそ変化が生まれるのだと思います。
山口: そうですね。僕らが今進めている「組織を変える」という取り組みも、ある種、覚悟を決めて挑戦するという意味では同じなので、リスクを負ってやっていこうと思っています。
大沢氏: あとはやっぱり、最終的にそこで働いている人が何をやりたいかじゃないですかね。これまでみたいに、営業して広告を取ってくるのではなく「企業の新しい可能性を見出す」「新しい扉を開く」…これはコンサルでも広告でもない、新しい領域だと思います。
山口: 新しいことにチャレンジするときって、流れとして「構想」「計画」「実行」の3つのフェーズがありますよね。構想は意外と誰でもできるのですが、実際に具現化するために人を巻き込みながらやるってなると反対勢力もあるし、変化を恐れる人はそこに反応しないことも多い。そこがこれからの課題ですね。

【本件に関する問合せ先】
株式会社 ADKマーケティング・ソリューションズ
BXデザイン本部 ビジネスイノベーション局 山口(大)/児玉/川西 e-mail:info@adk-bi.jp
株式会社 ADKホールディングス
経営企画本部 PR・マーケティンググループ 根岸/大沢 e-mail:mspr@adk.jp